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第七百七十話_short 人生下り坂サイコー! [literary(文学)]

「どんなに辛くても、上り坂を過ぎれば下り坂が待ってますよ。がんばりなさい」

 そう言って若者を励ましている老いた修道女がテレビに映し出されていた。

 そうだよな、人生山あれば谷あり、上り坂もあれば下り坂もあるよな……そう頷きながらあれ? と思った。諺で言うところの”上り坂もあれば下り坂もある”というのはそういう意味だっけ? なんか違う。上り坂は楽しいときの比喩で、下り坂とは苦しい時のことを表しているはずだけど。

 いやいや、そんな古い諺なんてどうでもいいんだ。だって俺、六十を過ぎてからというもの、体力的にも気力的にもどうにも下り坂感を否めなくなっているんだけれども、諺通りなら正にこれは苦しい時代のはじまりということになってしまうから。

 自分の老いた姿なんぞ若い時には全く考えたこともなかった。正直言ってごく最近までそうだった。いつまでも若いつもりでいたんだな。ところが六十歳を過ぎた頃から急激に老いを意識しはじめるようになって……主には体力的な衰えを自覚しはじめたからだろうな。だからこそ逆にこのしんどい仕事を引き受けたのだ。

 正平は黙々と自転車をこいだ。なにも考えちゃいけない、老いのことなんか。そう思うのだけれども、一人黙って自転車をこいでいるとついついいろんなことを考えてしまう。全国を自転車で行脚するというこの仕事、こんな年寄りにさせるのかと最初は思ったけれども、これがなかなか楽しいのだ。若いスタッフとともにさまざまな土地に自転車で行ってその地の景色や人々と出会う心の旅なんだけれども、それこそ辛い上りもあれば楽な下りもある。 スタッフが構えるビデオカメラを向けられて、つい苦しそうな顔をしてしまうこともあるけれども、そりゃあ人間だものしかたない。

 そんなことよりも六十半ばになって身体を使う仕事に挑戦しているおけげで、なんだか体力の衰えにブレーキがかかったような気もするのだ。

 苦しい坂を上りつめて、次には全身に風を受け止めながら、俺の下り坂はこんなものだと思った時、自虐的な気持ちも込めて叫んだ。 

「人生下り坂サイコー!」 

※NHK[こころ旅」から妄想しました。  


人生下り坂最高!

人生下り坂最高!

  • 作者: 火野 正平
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2015/10/27
  • メディア: 単行本
 
 
 
 

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第七百六十九話_short 新大人の時代 [literary(文学)]

「どぅお? 似合う?」

 知世がグレーのコートを脱ぐとほっそりとした下肢を支える肉感的な太ももが現れた。マイクロミニといってもいいほど短い丈のスカートに満雄の胸は動悸を早めた。

「おお! 似合うどころか眩しいくらいじゃないか」 

「まぁ、お上手。あなたも今夜は決めてきたのね」

 普段ジーンズかスウェットパンツしか履かない満雄だが、今夜はずいぶん昔から持っている黒いスゥエードのジャケットを羽織ってきていたのだ。なにしろ今夜は久しぶりに昔の仲間たちが集まるということなので、あんまりみすぼらしいのも恥ずかしいと思ったからだ。

「これ、ほら、バブルの頃によく着てたんだ」

「まぁ、モノ持ちがいいのね」

 男は特に歳を取るともともと興味の薄いおしゃれとの距離がますます大きくなり、新しいスーツなど手に入れたいとも思わないものだ。それに引き換え女ときたら……いくつになっても服が好きな生き物だ。 

 ほどなく他の仲間たち、剛、貴美子、篤と美津子夫妻も到着したのでビールで乾杯すると一気に昔通りの空気がよみがえった。

「で、今日はなんの集まりだい?」

 篤が訊ねると剛が答えた。

「まぁ、ミニ同窓会みたいなもんなんだけど、ちょっとした提案があってね」

「提案?」

 かつて広告代理店に勤めていた篤は、昔から世の中の潮流に詳しく、いつもなにかしら新しいことを言い出す。

「ああ、おいおい伝えるよ。そんなことより……」

 とりあえずは近況報告がはじまって、すぐに懐かし話で盛り上がっていった。

「ところで、今日の知世はスゲーだろ」

 満雄が知世のミニ姿に水を向けると貴美子も負けじと大きく開いたブラウスの胸を突出した。

「そうなんだよな、ミニスカート文化ってのは俺たち世代が作ったんだ」

 篤の弁がはじまった。

「もちろん、それまでにも礎はあったんだろうけどね、アイビーやジーンズ、タートルネック、ミニスカート、全部俺たちの時代に流行り出したんだ」

「あ、ファッションだけじゃないぜ、テレビゲームだって俺たち世代がハシリだ」

「ビートルズ、カラオケ、ロック、ニューミュージック、フュージョンジャズ」

「漫画、アニメ、サブカル」

 それぞれが得意分野のことをそれぞれに口にしはじめたところで、篤が中に入った。

「そうそう、そういうことなんだ。俺たちはいつも新しい時代をつくってきたのに、いまやなんだ? シニアだのシルバーだの言うけど、しっくりくる?」

「そうそう、孫からジイジって言われるのはいいが、他人から爺さんなんて言われたくないね」

「ほんと。私なんか外では、ウフ……お姉さんって呼ばせるようにしてるわ」

 みんなの同意を得て篤が宣言した。

「そうなんだよ。自分がシニアだなんて枠組みに入れちゃうと、妙に年寄りっぽくなっちゃうぞ。俺たち年寄りなんかじゃないし、シニアでもない。いま、世の中では俺たち世代を”新・大人”って言いはじめてるんだ。だから僕はそういうことをみんなに知らせたかったのさ」

 既にみんなが自覚しているシニアという呼称の違和感。だからといってそれを受け入れるのではなくて、そうではない自分達らしい生き方をしていくべきだ。篤はそのようなことを言い、男性はもちろん女性陣も大いに頷いた。 

「今日は思い切ってミニにしてみてよかった。本当は年甲斐もなくってちょっと恥ずかしいかなって思ってた」

「そうよ。 歳を重ねたからって胸や足を見せて悪いはずがないわ!」

 男たちはニマニマしながら聞いていた。内心ではこう思いながら。

「ま、ありかな。そういうのは若いに越したことはないけど……」 

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第七百六十八話_short 夢のような人生 [literary(文学)]

「あなたはとても賢い子。一生懸命勉強するのよ」

 母はいつもそんなことを言っていた。

 必ず偉い人になる力を持っているのだから、勉強して、努力して、人にやさしく、世の中の役に立つことを考えなさい。そうすればあなたは必ず世の中を背負って立つ人間になる。あなたには夢のような未来が待っているのよ。

 そう言われ続けた僕は母の言葉を百パーセントと信じて生きてきた。バカみたいと思うかもしれないが、人間ってそんなものだと思う。実際僕は常に真面目に学び、働き、大人になってからはそれなりの仕事を得て、それなりの地位を得た。いつも人の気持ちも考え、そのおかげでたくさんの友人を得ることもできた。

 母が言ったように世の中を背負って立つような人間になれたかというと、そんな大それたものではないが、少なくとも近隣の人々からは信頼され頼られる程度の人間にはなったのだろうと思う。

 大金持ちにも会社の社長にもなれなかったけれども、こうして人並みに生きてこられたのは、もうとっくの昔に亡くなってしまった母のおかげだと思っている。あの言葉がなかったら、僕はもう少しつまらない人間になっていたかもしれないからだ。

 とはいえ、あの頃の母よりもふた回り以上も歳を重ねてしまったいまになって、母が言った「夢のような未来」を僕は得ることができたのだろうかと疑問に思うようになった。母が想像していた僕の夢のような未来とはどういうものだったのだろう。僕は努力を怠ったのだろうか。母が想像した僕の未来はこんなものだったのだろうか。

 過去の記憶もところどころ欠損する年齢になって、若い頃の自分が何を考えていたのかすら思い出せなくなってきた。

 母は本当にあんな言葉を言ったのだろうか。あの母の言葉こそが夢だったのではないだろうか。僕は若い頃の母の姿を夢で見て、本当に母がそう言っていたと思い込んでいるだけではないのだろうか。

 歳とともに記憶は薄れ、変化し、現実との境界が曖昧になる。

 僕は夢のような人生を生きることができたのか。

 あるいはそんな人生を歩んできた夢を見たのか。 

 残り僅かな人生にこそ、夢のようなことが待っているのか。

 僕は最近毎晩そんなことを妄想するのだ。 

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第七百六十七話_short 死ぬまでにやっておきたいリスト [literary(文学)]

 余命二カ月を宣告された女性が、死ぬまでにしたい十のことをリストに書くという映画があった。それを見たときはさほど共鳴しなかったのだが、自分自身の寿命を考えるようになってから、にわかにあの映画のようなことをやってみるべきだと思うようになった。

 しかし数か月という余命宣告をされているわけではないので、死ぬまでにしたいことが十個というのはあまりにも少なすぎる。自分が何歳まで生きられるのかはわからないけれども、百くらいのことはできるだろうと軽く考えたのだ。

 ところが実際にしたいことをリスト化しようとすると、なかなか思い浮かばない。十や二十はすぐに書けたけれども、百個という数字にはなかなか届かなかった。日々いかに漫然と生きていることかとわたしは改めて気づいたのだ。

 百個ということとなると、細かいことまで員数に入れる必要がありそうだった。たとえば好きなものを食べるとか、好きな人に気持ちを伝えるとか、そんなことだ。

<残りの人生100のリスト>

①道頓堀の老舗今井のきつねうどんを食べる。

②北海道で食べたような雲丹丼をもう一度食べる。

③同じくイクラ丼を食べる。

 なんだ、食べることばかりじゃない。食べたいものはほかにもあるけれども、別のことを考えてみた。

③夫に感謝の気持ちを伝える。

④一人暮らしをしている息子に愛を伝える。

⑤友人になにかプレゼントを贈る。

 うーん、なんだかもっともらしい感じ。

⑥山登りをする。

⑦筋トレジムに通う。

⑧トレッキングをはじめる。

 スポーツ系は苦手なので、少しハードルが上がったような気はしたが、こういうのも大事なことだと思った。 

 こんな調子で、食べること、住まいのこと、衣装、人間関係、旅行、趣味、運動、音楽、文芸、演劇など、なんとか100のリストを書きあげたのがもう一年も前のことだ。

 いったい100のことを実行するのにどのくらいかかるのだろうかとあの時は思っていたが、ハードルを下げすぎたのだろうか、ほとんどのことが一年足らずで実行できてしまった。

 食べることなどいとも簡単だったし、苦手な運動やアウトドア系のリストも一度くらいならなんとかなった。旅行だって、国内なら簡単なことだし、イタリア旅行もニューヨーク行きも、節約旅行ではあったが、簡単に実行できてしまった。

 わたしはまだまだ生き伸びそうではあるし、こんなことならリストをもっと追加すべきかなとも考えたのだが、いやいやまだできていないリストも十あまり残っているのだ。これを実行しないことには次には進めないと思いなおした。

 しかし、残されたリストについては、これがなかなかハードルが高すぎてどうやれば実現できるのか途方にくれてしまうのだ。 

●宇宙船に乗る。

●芥川賞を取る。

●アイドルデビューする。 

●総理大臣になる。 

●合衆国大統領に会う。

●プーチンと会う。

●世界平和の仲介をする。 

●ノーベル賞を取る。

●天国の階段を上る。 

●生き返る。 

 


人生の100のリスト (講談社+α文庫)

人生の100のリスト (講談社+α文庫)

  • 作者: ロバート・ハリス
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2008/05/20
  • メディア: 文庫
 
 
 
 
 

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第七百六十五話_short 緊急電話 [literary(文学)]

「あら? 昨夜十二時過ぎに着信があったみたい。ニ回も」

 妻の美子が自分の携帯電話を見て言った。

「深夜に? どこから?」

 トーストを齧りながら僕が訊ねた。

「ええーっと……富永病院? これって救急病院よねえ……」

 救急病院から夜中に電話があったというのはただならない気がする。

「折り返してみたら?」

 妻はすぐに折り返し電話を入れたが、病院の代表電話からの着信であり、病院側では誰が掛けたかわからないということだった。

「きっと間違い電話よね」

 妻は独り言を言いながら携帯電話を閉じて、その日はそのままそのことは忘れてしまったようだ。

 一日おいた朝。また妻が言った。

「あらぁ? また。富永病院から昨夜の十二時五分に着信が入ってる」

 だいたい夜中に電話というのは間違い電話じゃなければ緊急のなにかがあったときだ。それも病院からとなれば、普通じゃないと思うのが普通だろう。

「深夜に病院の代表電話からかける電話って、普通は私用じゃないよな。なにか事務的なっていうか、もっと緊急の場合にしかそんなところからかけないよな?」

 僕の言っていることを理解したのかどうかわからないが妻もなにか思いついたようだ。

「誰かが事故に遭って、その人が持っていた携帯に私の番号があったからかけてきたとか」

 僕も思いついたことを半ば冗談で言った。

「それか、毎晩同じ時間にかかってくるあの世からの電話かも……」

 僕の言葉を無視して妻はまた言った。

「二晩も同じような着信だなんて気味が悪い。やっぱり何かあったんだわ」

 妻はもう一度富永病院に折り返し電話をかけた。

「もしもし。二晩続けて、お宅の代表電話から着信があったんです。夜中にですよ! すぐに調べてクd債。もしかしたら夫が事故に遭って運び込まれているかもしれないんです。病院の人が夫の携帯を見て私に電話をかけてくれてるんだと思うんです!」

 しばらくして病院から返事があった。やはり緊急の入院患者がいて、その人の家人に電話をかけたようだが、担当者が番号を控え間違えて妻の携帯にかけてきていたようだ。つまり完全に間違い電話であり、既にその家人とは連絡がとれているということだった。

 妻はほっとした表情でしげしげと僕を見ている妻に向かって、僕は訊ねた。

「なんで僕がここにいるのに、あんなことを病院に訊ねたの?」

「だって……ここにいるのは、あなたの幽霊かもしれないって思っちゃたんだもの」

 もともと死後の世界とかスピリチャルとか、心霊現象が大好きな妻ではあるが、ここまでとは。妻の思い込みにも困ったものだ。

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第七百六十四話_short 居場所センサー [literary(文学)]

 兄が大都会マラソンに出場すると知らせてきたのは半年も前のことだったが、ついに今日が当日になった。

 大都会マラソンは三万五千人もの選手が街を駆け抜けていくわけだが、当然その家族や友人たちが応援するわけだから、街じゅうに人があふれて大変なことになるのが予想された。

「でも兄さん、僕らはいったいどうやって応援すればいいの? 兄さんがどこを走っているかなんてわからないじゃない」

 単純に思ったことを聞くと、兄は笑いながら答えた。

「それがわかるんだな。ほら、靴に挟んだこのチップを、コースのポイントポイントにあるセンサーが読み取って、専用サイトに表示するんだ」

 すごい。最近のインターネット技術を使えば、いとも簡単にそんなことができるのだ。試しにスマホで専用サイトを表示させて、兄のチップ番号を入力してみると、兄の名前が現れた。だが、当然ながらまだスタートしていないので、兄の位置は出てこなかった。

「すごいね。こんなことができるんだね」

 関心していると、兄が言った。

「こんなのマラソンの時だけじゃないと思うぞ。これからは国民全員がこうやってどこにいて何をしているかが一目瞭然になるに違いないぞ」

 え? ああ、GPSのことを言ってるのだな、そう思って頷くと、兄は続けた。

「GPSもそうだけど、ほら、いよいよ始まるマイナンバーってやつ。あれって、このチップと同じようなものだと思う。マイナンバーが配布されて、そのうちみんながマイナンバーのチップが入ったものを身につけなきゃならなくなって、そうすれば街じゅうのセンサーが国民全員の居場所を即座に突き止めることができる、そんな時代になるんじゃないのかな?」

  便利な世の中……というよりも、なんだか恐ろしい話のような気がしてきたのだった。 

マイナンバー.jpg 

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第七百六十三話_short 時をかける動画 [literary(文学)]

「ねえねえ、パソコンの整理していたらこんな懐かしいのが出てきたよ」

 休日の午後、PC画面を眺めていた妻が私に声をかけた。

「ええ? 写真かい?」

 妻の後ろから覗き込むと画面には動画が映し出されていた。

「ほら、これってずいぶん前のお花見のときの」

 そういえば友人家族で集まって年に一回の花見を楽しんでいた頃があった。

「これって、いつなんだろう」

「ええーっと、うん、五年前の日付だわ」

 たぶん、最後のお花見だ。中心人物だった山中一家が転勤してしまったのを最後に、もうみんなで花見をすることもなくなってしまったのだ。

 ほんの短い動画だったが、みんなの動く姿が少しずつとらえられていて、とても懐かしい気がした。

「これって、誰が撮ったの?」

「いやだわ。あなたが携帯カメラで撮影したんじゃないの。その証拠にあなたの姿は映っていないでしょ?」

 なるほど、そういえばそうだ。しかしどんなふうにして撮ったのか、そのときはどの携帯をつかっていたのか、さっぱり思い出せない。五年も経てば記憶なんて薄れてしまうものなんだなと改めて思った。

「すっかり忘れていたよ。でも、記憶が薄れるからこそ、こうした記録が役に立つんだな」

 動画の価値に関心していると、妻がまた別の動画を立ち上げた。

「ほら、これ見て」

 白黒のずいぶん古めかしい映像だった。

「これは?」

「ふふ。私が子供の頃の映像よ。父が八ミリカメラで撮ってくれてたのよ」 

 小学低学年くらいの女の子がお兄ちゃんと母親に挟まれてなにかポーズをとっていた。言われてみれば確かに妻の面影があった。

「へぇ~こんなの初めて見せてもらったな。お前、案外かわいらしいじゃないか」

 言うと、妻は口をとんがらせて言った。

「案外ってどういうことよ。私は子供のころからずーっと可愛かったのよ!」

 といっても、これはかれこれ五十年くらい前の映像だ。その五十年間ずっと可愛かっただなんて、自分でよく言うよ。しかし……。

「なんで五十年も前の映像がPCに入ってるんだ? 八ミリだろう?デジタルじゃないし、どうやって撮ったんだ?」

 妻がしまったというような顔をして私の顔を見た。

「ばれてしまったわね。実は私の父は未来から来た人だったの。だからデジタル機器を持っていたのよ」

 え? なにを言ってるんだ? 私は真面目な顔をして妻の顔を覗き込んだ。

「未来人? な、なにを言ったんだ、いま?」

「ほら、時をかける少女って、あれ、父がモデルなの」

 あれって作り話じゃなかったんだ。私はいきなり知らない世界に連れていかれたような気分になった。返す言葉を探していると、妻が笑った。

「な、わけないでしょ。これは何年か前に古いフィルムを見つけた兄がデジタル化してメールで送ってくれてたのよ!」 

 私は妻の言うことは何でも信じてしまう性格なのだった。 

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第七百六十二話_short 母の叱責 [literary(文学)]

「なにしてるのよ。しっかりしなさいよ!あなたいったいいくつになったと思ってるの?」

 その声の強さは、携帯電話を少し耳から離さなければならないほどだった。厳しい時代を生きてきた母は、他の同世代の老人たちと同じように頑健な考え方を持っており、それは歳をとってからでも変わらなかった。勤め先では何人もの部下を持つようになってからでも、ふらふらしていた学生時代のままだと思っているかのように、僕のことを不甲斐ない人間だと思っているのだった。

「会社では偉そうにしているのかもわからないけれども、私から見ればあなたはまだまだ半人前よ。もっとしっかりしてもらわないと、世間様から笑われますよ!」

 相変わらず母の言葉は手厳しい。

「はいはい、これでもちゃんとやっているつもりなんですけどね」

 僕はうんざりしながらいつもそうするように、適当にそう答えて電話を切った。 

 母の叱責を聞きたくなければ携帯電話に耳を貸さなければいいのだが、本音のところではそうでもないのだ。なにか問題を抱えているとき、日常業務に疲れ果ててしまった時、あるいは個人的に感情がまいっているときなど、やはり実の母の声を聞くと、それが手厳しいものであったとしてもなんだかほっとしてしまうのだ。

 この歳になっても母親にすがっているなんて言われると恥ずかしい限りだが、そういうところが母の目には頼りなく映るのかもしれない。

「はいはい、わかってますよ」

 そんな返答では母は満足しないはずだった。だが、それでも自分の息子を叱りとばして、自分が少しは息子の役に立っているはずだ、そう思っていたに違いない。

 いったいいつまでこんな風に母の声を聞き続けるのだろうな。僕はそう思いながらも、携帯電話に録音された亡き母の声を、消去することができないのだった。

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第七百五十九話_short 継続の行方 [literary(文学)]

 私は来る日も来る日も物語りを書き続けた。

 それになんの意味があるのかわからなかったが、ただ書きたいという意識だけが原動力だった。

 たいした文章ではない。それにほんの短い掌編だ。だが、毎日違うお話であることに意味があった。ネット上に上げられたそれを見てくれている何人かは「毎日続けられていることがすごい」と褒めてくれた。中身についてではない、継続に対する称賛だ。

 しかし、数少ない称賛の言葉ももはやなくなった。読んでくれていた友人たちが次々と去っていったからだ。 

 最初は千一話と決めていた掌編は三年足らずで千一話に達し、目標値を七百七十七話に増やして継続したものの、これも二年余りで七百七十七話に達した。毎日書き続けることに苦痛を感じはじめていた私は、これでやめにしようとも考えたが、結局その後も惰性のように書き続けた。

 あれから何年が過ぎたのかもはやわからない。ただ日々の表題に付けられた数字が一話ずつ増えていくことだけが全体のボリュームを表わしていた。

 一万七千七百八十話……一年三百六十五日で除すると約四十八年……それだけの年月が過ぎていったのだ。友の多くがこの世を去ってしまうほどの年月だ。

 そうか、もうそんなに。

 しかし私は、もはや感慨も感じない朦朧とした意識の中で、ほとんどの髪の毛を失ってしまった頭をヘッドレストで支えながら、震える指でパソコンのキーをひとつずつゆっくりと押して、本日の物語りに終止符をつけた。

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第七百五十八話_short 分けへだてのない世界 [literary(文学)]

 心地よい秋晴れの下、いよいよ息子が出場する駆けっこがはじまる。

 小学一年生の小さな行列が堂々と運動場に入場してきて、スタート位置に並んだ中に見つけた息子の姿は、なんだか凛々しく見えた。

「位置について~よーい」

 ピーッ!

 空砲ではなく、呼び笛がスタートの合図らしい。六人が組みになってどんどん走っていく。小学生は五十メートル足らずのトラック競技だからすぐに順番が回ってくる。

 ついに息子の列がスタート位置についた。

 ピーッ!

 笛とともに走り出す子供たち。うちの太郎は……ああっ! 一番先頭だ! 

 やった! 一等賞だ! 昨夜はあんなに張り切っていたんだものな。日ごろ一緒に走る練習してたんだものな。そりゃあ一番に決まってる。

 ところが一等賞になった息子が並ぶべき一等のフラッグがない。一番になった子も、ビリの子も、みんな同じところに並んでいるのだ。おかしいじゃないか。うちの子は頑張って一番になったのに、なんで一等のフラッグがないんだ?

 私はすぐにと競争担当らしい教師のところに行って掛け合った。

「なんで一等賞のフラッグがないんだ? うちの子は一番になったのに、これじゃあ頑張り甲斐がないじゃないか!」

 すると教師は少々困ったような顔をして答えた。

「そうおっしゃる方も時々いらっしゃるんですがね……こういうことで差異を付けるのはいかがなものかってことで、もうずいぶん以前から優劣はつけないようになってるんですよ」

「優劣って……実際にうちの子はほかの子より速かったんだから、しかたないじゃないか?」

「いえいえ、そうなんでしょうけれども、それは気持ちの上で受け止めていただいてね、学校としてはみんなを平等にしておかないと、いろいろと弊害が起きるんですよ」

 運動会で勝っても負けても優劣はつけない。一等賞もビリもない。みんな同じように平等にしなければならない。

 なるほど、これが民主主義というものか。あるいは平等主義とでも言うのかな?

 分けへだてのないように、みんなを平等に、同じように教育する、そういえば我々のときだって平等であることは美学のように教えられてきた。そういうのがさらに強まって、いまではなにからなにまで平等にしなけりゃあいけなくなっているんだな。

 半ば諦め、半ば不本意なまま私は引き下がり、せめて息子に褒め言葉を言ってやろうと太郎たちのクラスが集まっている場所を探した。

 一年一組。ここだな。同じような背丈の子供たちが大勢いる。よく見ればなるほど、同じ体操服を着ておなじキャップを被って、みんな同じように見える。これが平等ってものなんだろうな。

 しかし……太郎はどこだ? どこにいる? 太郎がどれだかわからない。

 さっきは太郎が走るところを認めたはずだったのに、いまは子供たちみんな同じに見えるのだった。 

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